「なんか木みたいな人だなぁ」
ずっと前に、長~くヨガを続けている人たちに対して思ったことです。
どこにも力みがなく、誰に対してとても自然体で接し、良い意味で人に気を遣わない。
ただそこにすっと存在している。そんな印象を受けました。
でもその時の私は、社会に出たばかりで何とか「必要とされる人間」「仕事ができる人」「気が利くいい人」になりたかったので、「こんな人もいるんだなぁ」ぐらいでした。
それからしばらくして、あるセラピストの方の解剖学WS(ワークショップ)に参加した時のことです。
参加者同士で円になり自己紹介をしました。
新入社員研修時から、「ポジティブリスンニングの重要性、好感をもたれる聞き方」などを叩きこまれてきた私は、一生懸命、頷きながら人の話を聞いていました。
すると先生が、「ここでは無理に頷いたりしなくていい。ただ自然にして下さい」というようなことを私の眼を真っ直ぐ見て言いました。
その瞬間、自分の心を見透かされたような衝撃、恥ずかしさがわっと心に溢れそうになりましたが、咄嗟に蓋をして、なかったことにしました。
でもその後、似たようなことが何度も起こり、そこでようやく真剣にヨガに取り組むことにしました。
昨年、全米ヨガアライアンスを取得に行った時に、先生が言いました。
「ヨガをやって”いい人”になるわけではない」
「ヨガをやるとその人らしくなる。命そのままの状態になる。」
私はヨガを始めてすぐにインストラクターになり、長い間”ポーズだけのヨガ”しか知らなかったのですが、ここで初めてヨガの本当の素晴らしさに気付きました。
「気が利くいい人に思われたい」や「人から評価されたい」などから始まる、「人からこう思われたい願望」を玉ねぎの皮のように、一皮ずつめくっていくのにはすごい時間がかかります。
今も続いていますが、焦ることなく、日々自分の感情を目をそらさずに真っ直ぐ観ていくと、徐々に核心に近づいていくような気がします。
まだまだなんですけど、いつか玉ねぎの”芯”だけになったらきっとすごく楽なんだろうと思います。
そしてその”芯”だけの状態が、ずっと前に、ヨガの先輩たちを前にした時の感想、
「木みたいな人」
なんだろうと思います。